武井誠 ホームページイメージロゴマーク ホーム   活動日記   活動予定   プロフィール   お問い合わせ
小さな声が街を変える 支えあい・ともに生きる いのちを大切にする街づくり 武井誠 坂戸街づくりサイトです
ホーム  > 2007年度デイリーレポ(詳細版)記事一覧  > 父のこと

父のこと

「武井誠 市民運動デイリーレポート」の一部記事について、その詳細報告を掲載しています。
このページは、2007年7月27日掲載デイリーレポート記事 "父のこと" の詳細報告です。

以下、元記事。

「日中友好元軍人の会」は、毎月1回「8・15」という会報を編集・発行しています。
原稿を求められて、私の父のことを書きました。多少、加筆して「詳細版」に掲載させていただきます。
戦争のこと、教育のことなどを考える参考にしていただければと思います。

「日中友好元軍人の会」については、こちらの記事をご覧ください。

父のこと

森の写真  今日は、7年前に膵臓癌で他界した父のことを書く。

 父、武井輝雄は1926年(大正15年)山梨県甲府市に生まれた。教育勅語体制の中で軍国主義教育を受け、旧制甲府中学を4年で終え、16歳で海軍予科練へ。土浦や鈴鹿の航空隊に配属され、特別攻撃隊にも志願するなど、太平洋戦争末期を海軍で過ごし、20歳で敗戦を迎えている。ちなみに父の兄は、海軍兵学校出身、レイテ島沖で戦死している。

 よく「自分は一度死んだ人間、戦後は余生だ。」「自殺する気はないが、死ぬのはこわくない。」「死んだら、あのとき死んだ仲間にあって、わびなくてはならない。」と話していた。(言葉の通り、淡々と死を受け入れ、冷静に自分の葬式の指示までして、往生した。尊敬に値する死だった。)

 軍国少年だった父は、弁論大会などで「国を守るために命を投げ出そう!」とよびかけ、学問の道に進もうとしていた友人たちを「戦争に負けたら、学問どころではない」と説得して、いっしょに軍隊に入った。そして仲間のほとんどは戦死、中には人間魚雷「回天」をめぐる戦記の中に、その最期をていねいに記された人もいる。誘った張本人の父だけが生き残った。

 私が、教員になりたいと話したとき、父は「教育はすばらしい仕事だが、おそろしい仕事だ。私のような若者をつくってはいけない。」と言った。それは日本教職員組合のスローガン『教え子を再び戦場に送るな』と、直接に重なるものだった。

  教育に関わって父に聞かされた話の中で、もう一つ印象に残っていることを記す。海軍に入隊し、甲府の駅。どこに配属されるかも知らされないまま乗せられた暗い列車の中で、はじめて「これでいいのだろうか」と自分のしていることへの疑問がかすかにわいたそうだ。その時ホームで、
「T君、いたら返事をしろ!。お母さんがここに見送りに来ているぞ!」
と、大声を出している人がいる。中学校の英語の教師、敵の言葉を教える教師ということで普段から生徒にもほかの教員にも軽く見られ、父も授業妨害をしたとのこと。
「T君、生きてかえって来いよ!。死ぬばかりが忠義じゃないぞ。」
…何を馬鹿なことを言っている、と思いながらも妙に心細くなったことを鮮明に覚えている。当時、人のたくさんいるところで、大声でそんなことを言うのは、大げさではなく、命がけだった。「非国民」として、逮捕されかねない。今思うと勇気のある立派な先生だった。お礼とお詫びを言いたいが、行方がわからないと、父は言っていた。

 平和憲法・教育基本法「改正」の動きをめぐって、講演や発言を求められることが増えてきた。地に足のついた議論をするためには、戦前・戦中の日本の様子、軍国主義教育の実相をリアルに語ることが求められる。父の話をすると、聞いている人たちの表情に変化の生じることが多い。戦争のことを学び、伝え、記録する意義が大きくなっていると感じる。

 曲がったことの許せない「正義感」の強い父だった。戦後は、民間会社に勤め、いわゆる「切れ者」で、上司には一目置かれ、部下には尊敬されていた。しかし、頑固で偏屈なところもあるため、仕事を離れた友人の少ない父でもあった。「家を継ぐ」「墓を守る」「嫁の務め」等のことでは封建的で、憲法の「国民主権」と「戦争の放棄」のところでは一致できるのに、なぜ「基本的人権尊重」のところでこうなのか、その矛盾にいらだって、感情的ないさかいをしたことも多くあった。

 今思うと、戦争に関わる父の思いは、私のように頭でこしらえた考えではなく、トラウマ(心理的なケガ)のようなものだったのではないかと感じる。もう少し早くそれに気づいていたら、しなくてもすんだケンカも多かったのではないかと、このごろ少し後悔している。

 (蛇足)
 私の家は日蓮宗である。
 戒名に日蓮の「日」の字や「蓮」の字が入っていると格が上だとか、「居士」が「信士」より上だとか、私にはよくわからないしきたりがある。母が、かなり高額のお布施をはずんだようだが、父の兄は「居士」なのに父は「信士」。理由は、兄は戦死し勲章をもらっているが、父は病死だからなのだそうだ。正しい判断なのか、日蓮上人にきいてみたい気がした。半年後、父のかわいがっていた犬(俗名はポテ)が、後を追うように他界した。戒名は私がつけた。「犬蓮院歩哲日楽大居士」。「日」も「蓮」も入れておまけに「大居士」である。あの世で再会したら、お互いの新しい名を見て、父は何と言うだろうか。「おまえらしいな」と、苦笑しているような気がする。