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重慶爆撃について

 「武井誠 市民運動デイリーレポート」の一部記事について、その詳細報告を掲載しています。このページは、2008年08月15日掲載デイリーレポート記事 "終戦(敗戦)記念日に" の詳細報告です。

以下、元記事。

 63年目の終戦(敗戦)記念日。ある雑誌から日本軍の「重慶爆撃」についての短い記事を依頼されていた、その原稿を書きました。詳細版に掲載します。

重慶爆撃について

重慶爆撃  重慶爆撃とは、日中戦争の時、1938年12月4日より1943年8月23日にかけて、日本軍により、断続的に218回行われた重慶に対する爆撃のことを指します。中国側の資料では死者は計11,800人、こわれた家屋は17,600棟となっています。

 日本軍が南京を占領し大虐殺をおこなったのちも、国民党政府は首都を南京から漢口、さらに奥地の重慶に移し、抵抗を続けました。日本軍は地上軍による重慶攻略を計画しましたが、重慶は天然の要害の地であり、補給の問題もあり、ただちには困難であるという結論に達しました。そこで実行された作戦が空からの爆撃でありました。

 戦争史上、重慶爆撃が特筆される理由は、目標を軍事施設や統治施設だけに限定しない残酷な無差別「じゅうたん」爆撃であったことです。1937年に、ピカソの絵画で有名な都市ゲルニカの無差別爆撃が行われたその翌年ですから、この攻撃方法が採用された最初期のものであると位置づけられています。当初は、目的施設を限定していたという記録も残っていますが、重慶の気候は霧が多く曇りの日が多いため「目的施設以外にも被害が発生する可能性を考慮の上」実施されたとあります。また後期には、意図的に無差別爆撃が行われました。

 1941年6月5日の写真が残されています。防空壕に戻ろうとして4,000人が踏みつけられたり、窒息したりして死亡したものです。空襲警報の誤報により、パニックを起こして死亡した人々の写真ですが、重慶爆撃の非人道性を感じ取ることができます。

 太平洋戦争末期に、日本の多くの都市はアメリカによる無差別爆撃を受け、1945年3月10日の東京大空襲、8月6日の広島、8月9日の長崎への原爆投下などにより、気の遠くなるような数の一般市民の命が失われました。しかし、その戦術の原型が、重慶爆撃にあったことは事実です。

 一方で戦後、戦争責任を裁く東京裁判において、重慶爆撃は、非人道的行為を行った日本を非難するために活用される材料となりました。そのために何十倍もの市民が虐殺された東京、広島、長崎への爆撃が、報復攻撃として正当化されることにもなりました。

 戦争に反対し、戦争のない世界を構想するとき、重慶爆撃は私たちに多くの問題を突きつけています。重要なのは、一方的に命を奪われた市民の側に立って考え続け、被害を訴えることに躊躇しないこと、そして同時に、加害の側面もけっして見逃さないことではないでしょうか。