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母と女性教職員の会全国集会・第三分科会「中・高生」A 報告

「武井誠 市民運動デイリーレポート」の一部記事について、その詳細報告を掲載しています。
このページは、2008年07月19日掲載デイリーレポート記事詳細報告です。

以下、元記事。

8月2日に行われた母と女性教職員の会全国集会の、分科会報告原稿を書きました。
「覚せい剤」の問題も「部活動」の問題も、身近なテーマなのでデイリーレポート詳細版に掲載させていただきます。どうぞ、ご覧ください。

はじめに

 この分科会に助言者として招かれました。今年で3年目になります。(2008年8月2日)
 今回は、問題提起者の日程の都合もあり、午前と午後に分け、2つのテーマについて話し合いをしました。それぞれの内容について報告します。

母と女性教職員の会全国集会・第三分科会

薬物中毒経験者として

 午前は高橋仁さん(東京都在住:31歳)の「薬物中毒経験者として」という問題提起に対する質疑と討論を行いました。

 中学校時代は暴走族に入ってシンナー、高校を中退してからは覚せい剤などの薬物中毒となって入退院を繰り返した高橋さんが、「ダルク」という民間薬物依存症リハビリセンターと出会い、立ち直るまでの報告を受けました。

 体験談に聴き入る参加者。はじめてこういうお話を聴かれる方も多かったのではないでしょうか。学校現場で薬物中毒の中高生と何人も付き合ってきた教員の方もいらっしゃいましたが、それでも皆、当事者からのリアルな報告には圧倒される思いでした。

 質問への応答を含め、特に印象深かったことを、順不同で報告します。

 参加者からは、高橋さんの生育歴の中から、薬物におぼれていった原因を探りたい、という意図の質問も多く出されました。答えるのがつらい部分もあったと思うのですが、高橋さんは、ひとつひとつ誠実に、ていねいに答えてくださいました。しかし、

など、それぞれ独立した話し合いのテーマになりうる反面、ならば同じ状況に置かれた人が、みな薬物にはしる、とまでは言いきれない、という印象をもたれた方が多かったようです。少し話が横道にそれますが、助言者の私から、こんな捕捉をさせていただきました。

 中学校の教員だった私は、2年前に学校で急に言葉が出なくなり、病休、休職を経て退職しました。病名は「不安・抑うつ状態」、いわゆる「うつ病」の初期だったのではないかと思われます。周りにも、心身のバランスを崩す教職員の仲間がたくさんいました。学校の多忙化をはじめ、担任するクラスの子どもの死、うつ病気味の人の悩みを聞くうちに「ミイラ取りがミイラ」に、など、いくつか思い当たることはあるのですが、いろいろな場でお話をすればするほど、私の学校へ行けなくなった本当の原因は、これとは違うのではないか・・・という気持ちになります。人間の心と体は複雑で、一筋縄にはいきません。

 また、逆に言うと、現代社会は、いつでも、だれもが、薬物中毒やうつ病になりうる状況に置かれている、という認識をまず共有することが大切ではないかとも思いました。「一病息災」という言葉があります。自分の限界や弱点を認識することが、健康に生き続けることにつながるという見方もできます。「薬物中毒は完治しない」「うつ病は再発しやすい」という事実に向き合う心構えとして、お話しさせていただきました。

 高橋さんは「人の痛みや悲しみがわからない、人間的な感情をもてない人間だった。」「暴力団とかかわり、薬を売る手伝いをした。」「薬をやめたいという仲間に、ただで薬をあげて、こちらの世界に引きずり戻すようなこともした。」「家族など、身近な人の信頼を取り戻すことが実は一番難しかった。」といったお話を淡々と語り続けました。逃げたり、ごまかしたりせず、今までの人生を全部引き受けた上で、これからの人生を歩んでいこうという、静かな決意のようなものを感じました。

 討論というよりは、「貴重なお話を聴く会」という形になりましたが、今回はこれでよかったのではないかと考えます。高橋さんへの感謝をこめた大きな拍手で、午前の部を終了しました。

 最後に、薬物依存症から高橋さんを救ったのが、薬による治療ではなく、人間関係であったということも、大変重要なポイントであると感じました。ここで、ダルク(DARC)というリハビリ施設について、そのホームページ(http://www.yakkaren.com/zenkoku.html)からの引用を要約し、簡単に紹介します。

※ 「ダルク(DARC)とは、ドラッグ(DRUG=薬物)のD、アディクション(ADDICTION=嗜癖、病的依存)のA、リハビリテーション(REHABIRITATION=回復)のR、センター(CENTER=施設、建物)のCを組み合わせた造語で、覚醒剤、有機溶剤(シンナー等)、市販薬、その他の薬物から解放されるためのプログラムを持つ民間の薬物依存症リハビリ施設です。
 入寮し、同じ悩み(病気)を持つ仲間とフェローシップの中で回復するために、場所の提供をし、12ステップによる今までとは違う生き方をする練習の場でもあります。
 施設ではミーティング(グループセラピー)をダルク又は、自助グループへの参加により1日に2回、午後はレクリエーションで、山登り、ソフトボール、スポーツジム、温泉、など“薬物を使わないで生きる”ここからスタートします。これを毎日続けることによって、薬を使わないクリーンな生き方をし、成長していくことが回復となります。自助グループの参加や、医療機関との連携も、かかせないプログラムの一環として行っています。
 スタッフは全員が薬物依存者。新しい入寮者は仲間。薬物依存者同士が、病気の分かち合いをしながら回復、成長し、使わない生き方の実践をしていくことをめざしています。」

部活動の「功罪」

 午後は、まず、鹿児島県の市立高校教員、有村操さんから、「鹿児島県の部活動について」報告を受けました。部活動、特に運動部活動の過熱化が、様々な問題を引き起こしているという問題提起でした。たとえば、

@学習活動より部活動が優先されて、早朝、夜間、テスト前なども練習が行われる。疲れきって勉強ができない、という声を聞く。

A高校から、中学の有力選手を「逆指名」して特別枠で合格させる。私立高校はもちろん、県が禁止しているにもかかわらず公立高校でも行われている実態があり、その枠から外れて不合格になる生徒、入学後、別の進路へ進みたくても、退部できなくて悩む生徒などが増えている。

Bたとえば合唱コンクールなどの学校行事の準備や練習よりも部活動が優先される。学校の基本単位は学級ではないか。

といった実態が報告されました。

 午前とは対照的に、それぞれ教員として、あるいは保護者として部活動に深くかかわられていた方が多く、一般参加者からもさまざまな体験、思いが語られました。

 助言者として、付け加えたコメントを採録します。

 小泉内閣以降、市場原理・競争原理万能という考え方が、学校にも土足で入ってきました。自己評価というオブラートにくるんだ教職員の人事評価、特色ある学校づくり、学区自由化、そして全国一斉学力調査などです。部活動においても、子どもが学校宣伝のための商品にされているという鹿児島の先生の指摘は、その通りであると、私も思います。日本の学校の良いところは、教職員の同僚意識が高いこと、お互いの手法の違いを認めあいながらも協力し、切磋琢磨するところでしたが、学校間、あるいは個人の業績を競わせる流れの中で、この雰囲気が急速に失われつつあります。

 何かに追われるように(スポーツの強豪校になることを含め)特色ある学校づくりに右往左往するというのは、考え方が逆立ちしています。今、目の前にいる子どもたちが、そのための「捨て石」になっていいのか。そうではなくて、目の前の子どもたちの最善の利益(the best interest of the child「子どもの権利条約」)のために、子ども、保護者、教職員、地域の人々がまず話し合うこと。そして主体的にとりくむ日々の営みの中で、「特色」が、結果として生まれてくる、というのが望ましい姿だと思います。しかし、その時間とゆとりがない。「心を亡くす」忙しさの中にあるのが、今の学校の実態です。

 部活動についていえば、まず子どもたちに、どういうスポーツ・文化活動をするか、主体的に選び取る自由の保障されていることが、大事ではないでしょうか。

 また、教職員にとって部活動は、本来の職務ではありません。たとえば、私は卓球部の顧問でしたが、中学校の社会科の教員として採用されたのであって、卓球部の指導員として採用されたわけではありません。しかし、異年齢の子どもたちが、一つの目標に向かって励ましあって頑張る部活動には、独特の魅力があります。また、顧問の目の届かないところで「いじめ」が起こりやすいのもまた、部活動です。それが、部活動に夢中になる教員や、自分の私生活を犠牲にしてまで部活動にかかわらざるを得ない教員を生み出しています。

 出口の見えないトンネルの中にいるような気持ちの方が、たくさんいらっしゃると感じています。

 では、どうしたらいいのか。特効薬はありません。しかし、午前を含む、今日全体の話し合いの中で、やはり「人間関係づくり」が、キーワードではないかと感じました。おかしいと思うことはおかしいとはっきり言える場をつくること、話し合い、理解しあう努力をすること、そして、しくみを問い、必要ならば、改善を行政に働きかけていくこと。迂遠なようですが、それ以外に道はない。そういう意味では「全国母女」のような場の重要性が、かつてないほど高まっているのではないかと思います。

 最後に、言葉の問題についてひとこと。  たとえ、試合中に気合を入れるための叱責であっても、子どもの人格を否定するような言動は、許されません。同時に、世の中の様々な「少数派」の人たちが、見下されたり、差別されていると感じる言葉の使用も慎みたいものです。私たちは、知らない間に、人の足を踏んでいることがあります。今日の、発言の中にもいくつか気になる言葉がありましたので、注意を喚起しておきます。(具体的な指摘については報告省略。)

 有意義な分科会であったと感じて帰路についた方が多かったように思います。私自身、大変に勉強になりました。参加者と関係するスタッフのご努力に感謝し、分科会報告とします。

補足

 助言者としてのコメントの合間に、私自身の体験を織り込みました。二年前、ある新聞に掲載された私の原稿を、加筆・訂正して、その部分の報告に代えます。

 部活動はもう限界

  埼玉県公立中学校教員 武井 誠

 県西部のベッドタウンで中学校の社会科教員をしている。
 生徒数が減少し、学級減となれば、学校に配当される教職員数も減少する。しかし、簡単に部活動を廃部にすることはできない。かくして、50歳を過ぎた私が、一人で、男子卓球部を引き受ける事態となってしまった。

 春休み、生徒を集めてこんな話をした。「部活動は、顧問がいなければ活動を続けることができない。O先生が転出されて代わりの先生が来ない以上、卓球部は廃部ということに…(「しゅーん」としてうつむく部員たち)…、なるところだったので私が顧問になった。卓球は、若い頃、温泉で浴衣を着てやったことくらいしかない完全な素人である。よって、技術指導はできない。が、私は、君たちが『帰宅部』になってしまうのを助けた、いわば『救いの神』である。神様をこまらせるようなことがあったら、『たたり』があることを覚悟せねばならぬ。私に頼らず、しっかり練習するように。」

 喜び練習に励む部員たち。卒業生の協力もあり、県大会まで行ってしまった。しかし、私の仕事は飛躍的に増えた。多くの中学校の場合、練習試合の設定・実施や、部の運営・運動具店との折衝などのマネージングも教員の仕事である。夏場は毎日夕方6時まで、さらに土日のうち、どちらかは練習。半日であっても、私には体力的にきつく、帰宅後の午後も、一週間分の疲れがどっと出て、結局ごろごろと、無為に過ごしてしまうことが多い。教育基本法改悪を初め、教職員組合として喫緊の課題が山積する。大切な週末、部活動に時間と労力を消耗していいのか、という焦りも感じる。ちなみに、手当は半日で1200円(時給300円!)。まわりを見わたしても(部活動に生きがいを感じている教員も含めて)大なり小なり、個人や家庭の生活を犠牲にしている人ばかりである。

 中学生にとって部活動は、学校生活の中で大きな比重を占める。熱心にがんばっている子どもを、見捨てるわけにはいかない。生徒たちと心が通じ始めれば、それなりのやりがいは、ある。だから、私は「勤務時間外の仕事はしない!」と割り切ることができない。 しかし一方で、私たちが「お人好し」であることにつけこんで、システム的に限界である部活動のあり方を改善せず、教員には労働基準法違反の勤務を押しつけ、子どもたちの文化・スポーツ活動の権利を十分に保障しない行政には、憤りを覚える。